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東北旅行


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先月になりますが、東日本大震災で大津波に襲われた地域へ足を運ぶ機会がありました。
仙台から松島~女川~南三陸~気仙沼方面へ車で移動したのですが、大きな市街地から小さな集落に至るまで、津波によって生活が奪われてしまった現場は、震災から一年以上たった今でも凄惨さを留めていて、被災した方々を思うといたたまれない景象の連続でした。

そのような中でも、各地に復興市が開かれはじめていて、地元で採れた海産物や、不自由ながら工夫を凝らした手作りの地産品が並ぶ姿から、「復興に向けて、めげずにがんばりますよ!」という現地の方の強い意志を感じました。

また、接客してくれた地元の方ひとりひとりから、「今まで支援をありがとう」「足を運んでくれてありがとう」という心からの感謝の気持ちがひしひしと伝わって来ました。

一方で、少し会話を重ねると、口をつくのは復興・復旧の遅れです。

被災地を覆った震災がれきは、多くの人の尽力によってひと所に寄せ集めらてはいるものの、うず高く積みあげられた山のようながれきを、現地の方は「見るのも嫌」と表現されていて、ここの所、その処理もあまり進んでいないように思えると口々におっしゃっていました。

津波に流され荒野になった市街地に、通常の100年分と言われるがれきの山がそびえる姿はとても異様なのですが、近づいてみると、震災前の地域社会の名残りなんだという事に気づかされます。衣類などは津波にもまれたご遺体から引きはがされたものも相当数紛れているらしいと聞きました。

今まで各地域、家庭、個人で積み上げてきた生活が、無用の物となり、復旧の妨げになっている姿を、日々目の当たりにするのはとても辛く悔しいだろうなと思います。ゴミの山としてではなく、かつての営みの証しを弔う意味も込めて、一刻も早く処理を進めるにはどうしたら良いのか、被災地以外の人が協力して知恵を絞らなくてはいけない問題だと感じました。

現地に足を運んで良かったことは、被災の現状を肌で感じたことで以前より震災を自分のこととして考えられるようになったことです。それともうひとつ、震災を経ても変わらない東北の雄大な自然や山海の幸、素朴な人柄などに触れ、東北を好きになれたことです。

甚大な被害にばかり目を奪われると、心穏やかではいられないのですが、自然豊かな南三陸は風光明媚な名勝も多く、新緑の峠から見下ろす内海はとても穏やかで、津波の爪痕を目の当たりにしても尚、心やすらぐ景色が数多く広がっていました。

凪の海に養殖のいかだが浮かぶ姿も見受けられ、豊かだった漁場は確実に復活の兆しがあるようです。道中食べた魚介類も、産地ならではの新鮮さで格別の味わいでした。

災害を理解することと同時に、東北を好きになることも、関心を寄せ続けることにとても役立つと思います。

DSCN9089s.jpg南三陸町の市街地

この地点で海から500m以上離れていますが、津波の高さは15mを越していたそうです。

足元に粉々に砕け礫ぶてになった家財道具や茶碗の欠片などが、砂利に紛れて散乱していました。

被災した方の生活の名残りを足で踏みつけにしてしまう事が申し訳なくて、歩みを進めるごとに胸が疼いて仕方ありませんでした。


DSCN9087s.jpg南三陸町の防災庁舎

津波の来襲する最中、町職員の遠藤さんと三浦さんがひとりでも多くの町民を救おうと命の限り防災放送をつづけた現場です。

この震災では、私心を捨てて公務にあたり最前線で命を落とした方が大勢いると聞きました。その方々を代表して御二人に手を合わせることが、今回の旅の目的のひとつでした。

防災庁舎はこの6月には取り壊される予定だそうですが、足を運ぶ方が多い事などから今までも延び延びになっているので、正式にいつ取り壊されるかは解らないそうです。


DSCN9097s.jpg震災がれき

画像はこれでもとても小さな集積所で、陸前高田や南三陸の大規模集積所は圧倒されるほどの巨大さでした。

震災がれきは、石巻のように通常の100年分のがれきが復興の妨げになっている所など、地域外での協力を求めている被災地に対しては、処理コストが掛ったとしても、被災地外での引き受けが必要不可欠だと考えますが、政府が震災がれきに対する方針や放射性物質を微量に含んだ廃棄物の扱いに関する指針を明確にして来なかったことで、国民の間に混乱と無用な対立を招いてしまっているように思います。

がれき処理以外でも、震災の復旧、復興の遅れは、政府の関心の薄さに寄る所が非常に大きいと感じますが、被災地以外で暮す僕たちが「復興を第一に考えて欲しい」という世論を政治に訴えることで政治の目を向けさせ、被災民の気持ちが蔑ろにされないようにしなくてはいけないと強く思いました。


PA0_0018-(4)-2.jpg気仙沼湾

フェリーに乗って、気仙沼大島に渡りました。

桟橋が壊れていたり港の岸壁が地盤沈下しているなど、復旧されていない所がまだまだ多かったですが、湾内はとてもおだやかで、かもめが追いかけて来るなど、のどかな雰囲気を味わう事が出来ました。

今回は2泊3日の行程だったので、津波被害のほんの一部分しか見ていません。それでも多くの事について考えさせられました。困っている人を助けると言う、当たり前のことをあたりまえに出来るようにするために、僕たちがやれることは多いと感じました。

機会をみつけて是非また訪れたいと思っています。


一蝶さんよりコメントを頂きましたので下記に掲載します。

共に考え歩む震災復興

東北震災レポート、繰り返し読ませていただきました。画面だで一読出来る内容ではないので、紙に出力し、一言一句、指で文字をたどりながら読ませていただきました。推敲に推敲を重ねたと思われる文章は、HIDEさんの全人格をかけて伝えたい真摯さの表れと受け取れました。
他の報道者が伝えない(心でとらえていない)ことで、
だからこそ実際にHIDEさんが現地に行き、HIDEさんの人格を通して私たちに伝える意義が強く感じられた箇所に赤ペンでラインをひきました。

・・・がれき処理の問題。
単に復興の妨げになる、という一般的な見方だけではなく、
「今まで各地域、家庭、個人で積み上げてきた生活が、無用の物となり、復旧の妨げになっている姿を、日々目の当たりにするのはとても辛く悔しいだろうなと思います。ゴミの山としてではなく、かつての営みの証を弔う意味も込めて、一刻も早く処理を進めるにはどうしたら良いのか、被災地以外の人が協力して知恵を絞らなくてはいけない問題だと感じました。」
ここでHIDEさんは辛く悔しいだろうと感じ、また、かつての営みの証を弔う意味も込めてと言っています。
そして、南三陸町の箇所では「被災した方の生活の名残を足で踏みつけにしてしまう事が申し訳なくて、歩みを進めるごとに胸が疼いて仕方ありませんでした」と。

震災の復興とは、単に片づけてビルドすればいいというものではないということをHIDEさんは伝えています。
震災の復興には傷ついた被災者への思いやりと亡くなった方々の魂を鎮め、土地の霊を鎮める気持ちなくば、真の復興にはならないことをHIDEさんは伝えています。

私たちが普段何気なく過ごし歩いている土地でも
戦争中は多くの方が空襲で命を落としている場所があります。
そこでは御霊を冒涜するような行いをしてはならないと私は思っています。
現実とは目の前に実存するものだけが現実ではなく、かつてそこにあったものを含めてが現実であるのだということを
私たちはつい見失いがちですが、人としての心の有りようとは、目に見えないものに想いを働かせる力が大切なのだということをHIDEさんは伝えてくれています。

南三陸町の防災庁舎ですが、
震災を忘れない為にと保存運動をする町長がいる一方で、
震災のことを思い出したくない人々がいて、結局、取り壊すことに決まったことまでは、NHK特集を見て、いきさつ等は知っていました。が、HIDEさんのレポートでは、そうですか。
やはり・・・そうは言っても人々の中に割り切れなさがあるのでしょう。これは震災に遭った全ての方々に共通する気持ちだと思います。そうは言っても割り切れない、という逡巡した気持ちを抱えながらもなんとか前に向かって生きていかねばならないと自らに言い聞かせておられることと思います。

HIDEさんのレポートは気仙沼湾ののどかさを伝えて締めくくりでしたが、そこに漂う余情感の中にただずみながら、私も改めて色々考えさせていただきました。  一蝶


草むしり

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ペンギン君たちに手伝ってもらって草むしり。
暫くサボっていたら、ドクダミでスゴイことに。
あまりの大繁殖ぶりにペンギン君たちもビックリ。

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名前とは似つかわしくない清楚な白い花。
「ドクダミ」なんてセンスのない名前はちょっと可哀そうだね。

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